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2026年の説教




No.934 - 4月12日: 「神の家族の交わり」 テモテへの第一の手紙5章1節〜8節


(みことば)「年配の男の人を叱ってはいけません。むしろ、父親に対する ように勧めなさい。若い人には兄弟に対するように…勧めなさい。」 テモテへの第一の手紙5章1節

 パウロは、テモテに対して「教会の各階層に応じて、彼らをどのように導く べきか」を教えるが、様々な年代に応じ「父親…兄弟…母親…姉妹に対するよ うに…」と命じる。即ち、彼は、「自分の家族のように彼らに接する」べきである。
 そこに、教会の特色があるが、教会は、年配の男性、青年、婦人、若い女性の他 子供や乳児もいる。それは、学校や会社のように限定された目的の為に集まる 組織と違い、年齢や階層によって区別されない信仰の集団、神の家族である。



No.933 - 4月5日:イースター 「心が内に燃える経験」 ルカの福音書24章13節〜32節


(みことば)「二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を 説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」 ルカの福音書24章32節

 二人の弟子は、エマオへの途上で、死からよみがえられたキリストにお会 いする。彼らは、エマオへの11キロ程の距離を失望と落胆の内に歩んでいた。
 彼らは、キリストの十字架の死によってすっかり望みを失っていたが、そ の一方で、女達から「主のよみがえりの知らせ」を聞き、戸惑いを覚えていた。



No.932 - 3月29日: 「信者の模範となる」 テモテへの第1の手紙4章11節〜16節


(みことば)「あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られない ように…ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい。」 テモテへの第1手紙4章12節

 パウロは、テモテに「あなたは、これらのことを命じ、また教えなさい。」 と語るが、それは、パウロがテモテに教えて来た福音の真理のことばである。
 「命じる」は、「権威ある者からの命令」であるが、それは、「知らせを次 の人に伝える」意味がある。即ち、パウロは、キリストから知らされた福音を テモテに伝え、テモテは、次の人に伝え、福音はそのようにして私達に届いた。



No.931 - 3月22日: 「敬虔のための鍛錬」 テモテへの第1の手紙4章1節〜10節


(みことば)「肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきい のちを約束する敬虔は、すべてに有益です。」 テモテへの第1手紙4章8節

 パウロは、「神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のことで す。」と告白した。その「真理の柱と土台」とは、キリストと福音の事である。
 パウロは、後の時代に、異なる教えが教会に入り込む事を警告する。「ある 人たちは惑わす霊と悪霊の教えに心を奪われ…」それは宣教の歴史に必ず起 こる事で、主も「偽預言者たちが現れ…選ばれた者たちを惑わす」と警告した。



No.930 - 3月15日: 「執事としての資質」 テモテへの第1の手紙3章8節〜16節


(みことば)「執事たちも、品位があり、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、 不正な利を求めず…信仰の奥義を保っている人でなければなりません。」 テモテへの第1手紙3章8~9節

 パウロは、監督、即ち牧師の資質を述べた後で執事の資質について述べる。
 「執事」とは、「仕える人」「世話係」の意味であるので、それは、教会に 仕える働き人の事である。初代教会において、食事の配給の事で問題が起こ った時、使徒達は、「御霊と知恵に満ちた評判の良い人たち7人」を選んだ。



No.929 - 3月8日: 「牧師としての資質」 テモテへの第1の手紙3章1節〜7節


(みことば)「次のことばは真実です。「もしだれかが監督の職に就きたいと 思うなら、それは立派な働きを求めることである。」 テモテへの第1手紙3章1節

 パウロは、テモテがエペソで担う「監督」即ち牧師の職務について言及する。 「もしだれかが監督の職に就きたいと思うなら…」それは、教会の中で「牧師に なりたい」と願う人を想定しているが、献身者が起こされる事は幸いである。
 ただ、パウロは、そのような願いを持つ者に対し、その人は「立派な働き を求めるように」と真実を語る。それは、単に牧師職への願望だけでなく、 職務の重要さを覚え、それを担う者がどのような者であるべきかを勧める。



No.928 - 3月1日: 「男と女に対する勧め」 テモテへの第1の手紙2章8節〜15節


(みことば)「そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり 言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。」 テモテへの第1手紙2章8節

 パウロは、テモテに「王たちと高い地位にあるすべての人のために」祈る 事を教えて来たが、次に、神の創造の特性である「男と女」に分けて勧める。
 「私はこう願っています。」とは、パウロの願望であり、それは、使徒の言葉な ので、神の意志でもある。テモテは、その教えに従い教会を導く必要があった。



No.927 - 2月22日: 「唯一の神と信仰の真理」 テモテへの第1の手紙1章18節〜2章7節


(みことば)「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを 望んでおられます。」 テモテへの第1手紙2章4節

 パウロは、少し脇道に逸れる形で「律法と福音の関係」を語って来たが、 再びこの手紙の主題に戻り、エペソに留まるテモテに対して命令を書き送る。
 「私の子テモテよ。…私はあなたにこの命令を委ねます。」この「命令」とは、 「立派に戦い抜く」と言う表現が示すように、軍隊用語で、上官が部下に命令を 下す時の言葉である。それは、パウロとテモテの信頼関係の上に成り立つ。



No.926 - 2月15日: 「福音の神髄」 テモテへの第1の手紙1章12節〜17節


(みことば)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という ことばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。」 テモテへの第1手紙1章15節

 パウロは、福音と律法を対比して語って来たが、律法の定めによるなら全て の人が罪人である。律法は人を罪に定めるが、福音は人を義とする力がある。
 その福音の神髄とも言える言葉が、「キリスト・イエスは罪人を救うため に来られた」である。パウロは、「私はその福音を委ねられたのです。」と語る。



No.925 - 2月8日: 「神の定めに対する違反」 テモテへの第1の手紙1章8節〜11節


(みことば)「すなわち、律法は正しい人のためにあるのではなく、不法な 者や不従順な者…健全な教えに反する行為のためにあるのです。」 テモテへの第1手紙1章9〜10節

 パウロは、テモテに「違った教えを説き…果てしない作り話と系図に心を 寄せ…愛の目標を見失い、空しい議論に迷い込む者」を警戒するよう命じた。
 偽りの律法の教師達は、律法の目標を理解していなかった。パウロは、律 法の意義を「次のことを知っていて適切に用いるなら良いものです」と語る。



No.924 - 2月1日: 「真のわが子テモテ」 テモテへの第1の手紙1章1節〜7節


(みことば)「この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのな い信仰から生まれる愛です。」  テモテへの第1手紙1章5節

 テモテへの手紙は、パウロがローマで投獄されている時に若いテモテを励 まし教える為に書かれたが、それはパウロの晩年の遺言書の様な手紙である。
 パウロは、手紙の冒頭で自己の紹介文を記すが、それを簡潔に記すと「神 とキリストの命令によって使徒となったパウロ」となる。彼が使徒となった のは、彼自身の意志を超えた、神の主権的な意志とご計画に基づく事である。



No.923 - 1月25日: 「主の言葉に従う信仰」 テサロニケ第2の手紙3章14節〜18節


(みことば)「もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれ ば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。」 テサロニケ第2の手紙3章14節

 パウロは、この箇所の前の段落で、「怠惰な歩みをしている兄弟たちを戒め た」が、最後に、「この手紙に書いた…ことばに従わない者」への注意を述べる。
 まず、パウロが「私たちのことばに従わない者がいれば」と語るのは、前 回と同様に「兄弟」と呼ばれる者であり、それは、即ち「キリストを信じて いながら、パウロの言葉に従わない不従順な者」に対する戒めの言葉である。



No.922 - 1月18日: 「たゆまずに歩む」 テサロニケ第2の手紙3章6節〜13節


(みことば)「主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な歩みをし て、私たちから受け継いだ教えに従わない兄弟は、みな避けなさい。」 テサロニケ第2の手紙3章6節

 パウロは、この手紙の最後に「怠惰なキリスト者を戒める言葉」を書き添 える。それは「キリスト者の私生活」或いは「生き方」に関する勧めである。
 「命じる」は、軍隊用語で厳格さと威厳を持つ言葉でもあり、それは、主 イエスの命令でもあるので、それに従わなければ、主の弟子とは呼べない。 教会の中に、そのような気儘で怠惰な歩みをしている者がいたようである。



No.921 - 1月11日: 「心の道を整える」 テサロニケ第2の手紙3章1節〜5節


(みことば)「主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向 けさせてくださいますように。」 テサロニケ第2の手紙3章5節

 パウロは、これ迄「世の終わり」と「主の来臨」及び「不法の者の到来」に関し て語って来たが、それは人類の未来に関する事で興味をそそる内容でもある。
 最近の世界情勢を鑑みるとこれ迄の常識や理性が通用しない状況が続け様 に起こり、世界が音を立てて終末に向って突き進んでいると感じる。それは、 私達の信仰や交わりの外の出来事であるが、神の支配や計画は揺るがない。



No.920 - 1月4日: 「主の来臨の輝きと救い」 テサロニケ第2の手紙2章8節〜17節


(みことば)「その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御 口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。」 テサロニケ第2の手紙2章8節

 世の終わりに、背教の中で「不法の者」或いは「滅びの子」が現れる。彼 は、黙示録に記された「悪魔から権威を授けられた獣」即ち反キリストである。
 「その時になると、不法の者が現れますが…」しかし「今はその者を引き 止めているものがある…」即ち、それは、教会に与えられた聖霊の働きと力 によるのであり、教会が存在する間、邪悪な独裁者の台頭が抑えられている。



新年特別号 - 1月1日: 「創造者である神を思う」 伝道者の書3章11節


(みことば)「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、・・・までを見極めることができない。」 伝道者の書3章11節

 人の持つ人生観は、様々であるが、神を信じる者は、この世界や人生に神 の支配や摂理を認める。だが、神を信じない人は、それを偶然の結果と考える。
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」この御言葉には、神の支配や摂理が良く現わされている。もし、神の支配を否定するなら、この世界は、偶然の結果であり、人生に意味などはなく、虚無的な生き方になる。